私達の行く先は天ではなかった。
第弐話 青川現奈の場合⑤
それからのことは覚えていない。気が付いたら夕方になっていて、開けっ放しのカーテンは少しだけオレンジ色になっていた。海の家はもう閉めたらしくて、起きたら部屋にママがいた。洗濯物をしまいに来てたみたい。
昼寝なんてらしくないわね、なんて言われたけれど、まだママと話す気分じゃなかった。
あぁうん、なんてテキトーな返事をしてママを部屋から追い出す。
寝る前の涙の記憶が脳内にこびりついて頭がガンガンする。
今の私と、前の知らない私を比べてはイライラが止まらなくなる。
寝て少しは良くなったと思ったけど、そうでもないみたい。
だってまだまだ嫌な気持ちは抜けきらないんだもの。
ぼんやりともう一度寝てみようかなと考えていた頃。
「現奈~! ごはんだぞ~!」
部屋の外からパパの呼ぶ声がした。
あぁそっか、お昼を食べていないんだった。だから不幸せなのかな。
「今行くからちょっと待ってて!」
お昼はアジフライとかつお節の出汁のみそ汁。あとはいい匂いがするごはん。
アジは漁師仲間に分けてもらったんだって。パパは自慢げに笑う。
……まるで今朝のことを覚えていないみたいに。
「……わぁ、美味しそう! いただきます、パパ」
頑張って嬉しそうにして食べるけど、味がしなかった。疲れてるのかな。
油を舐めてる気分。気持ちが悪い。
けれど、美味しそうなんて言っちゃったものだから、美味しくないなんて到底言えなくて。
「美味しい! それもとっても! ……でも、私はもっと味が濃いのが好きだなぁ」
なんて誤魔化したけど、パパがイライラしてるのが伝わってくる。
パパの子守りはほんと、いや。
もしかしたらフレンチトーストのこと、まだ恨んでるのかな?
でも、こんな大人にはなりたくないな。
そんなことを考えていると、
「現奈、手が止まってるぞ。旨くないのか?」
パパは突然そう言った。
「……ごめんなさい、ぼーっとしてただけだよパパ」
「パパの目を見てみろ」
「……」
「本当に旨かったのか?」
「う、うん、もっちろん。パパの料理は美味しいよ」
パパが怒ってる。私はパパの恐ろしい顔を見ていられなくて目をそらしてしまった。
バァン!
パパはテーブルを強く叩いた。私は目を見開いて、パパとテーブルを交互に見る。
「お前が本当にそう思ってるとは思わないが、どうなんだ?」
私が答えるよりも先にパパは言葉を続ける。
「お前は嘘つきで、どうしようもないグズなんだな」
意味が分からなかった。
頭を傾げようとすると頬を叩かれた。あまりの痛みに私は後ろに飛びのく。
なんで、なんで。
おかしいのは私じゃなくってパパだけだもん。
叩きたかったから言いがかりをつけるにしたって、全然わけわかんない。
私は悪くないもん。全部パパが……。
そんな言葉が口から出ないで消えていく。
足を踏まれる。朝にできた傷の痛みを思い出して下唇を噛んで小さくうめき声を上げる。
「ねぇ、パパは、どうして、そんなこと、する、の……?」
私は出そうな涙を必死にこらえてパパに訊ねた。
「──今のお前に言って分かると思っているのか?」
パパは私の喉に手をかけた。
「あの頃のお前に戻ってくれ」
震えた声でそう言うパパは手に力を込める。どんどん苦しみが増す。
私が意識を手放す瞬間、パパの目からは液体がこぼれ落ちていたのが見えた──。
青川現奈の場合⑤
2019/06/28 up
2021/01/01 修正