私達の行く先は天ではなかった。
第弐話 人首霊音の場合①
ある年の九月。まだ残暑が厳しい時期。体感は三十度を優に超えている。そんな中、私は、香色をした麦わら帽子に、同色の薄手のコートを羽織って二週間ぶりに学校へ足を運んだ。
教室の戸を開けると一瞬皆がこちらを見る。
──誰にも心配等の好意を抱かれていないようで心底安心する。
所謂"二軍"と呼ばれるような人間達に「人首さんってまだ生きてたんだ」などと言われる。鬱陶しい。
「生存は義務に等しいのだから、当たり前でしょう?」
心配されていないのを良いことに、私は"避けてもらえるような"言葉を吐き捨てる。
人を遠ざけて生きているのに、どうしてこいつらはわざわざ私を話題にするのだろう。
そう考えていると、彼らはすぐ私を忘れたように配られた生徒総会のプリントの新委員長一覧を見ては保健委員長の男がどうだの、特に新しい図書委員長が変な私服をしているらしいだのと話し始める。
よく切り替わる頭にやや尊敬の念を抱いてあげながらも辟易させられる。
まぁ実際問題、私の名前が出てこないのならどうでも良いことだ。
今日学校に来たのは、これ以上学校を休むと母に連絡が行くからというそれだけの理由でしかない。
私にとってはそのことが、常人が考えるよりも遥かに恐ろしかった。
そんなわけで今日の私はお気に入りの服(というよりも私は服をほぼ一着しか所持していない)を寝室から引っ張り出し、学校へ足を運んだのだ。
余談だが、この学校は貧困家庭出身者の為に私服登校が許可されている。
もっとも、届け出を出す必要がないためにお金がある家庭の者も同じように好きな服を着ている事が多いのだが。
登校を済ませた頃には既に十三時を回っていて、五限が始まる少し前であった。
勉強自体は嫌いではないのだが、登校日数が酷いだけに内容の多くが理解不能。
そして、社会科などの暗記教科ならまだ自信があったのだけど、生憎五限は数学であり、生き方のせいで分からないことを聞く人もいない。
故に、この時間は退屈そのものであった。
教師も私に関心がないようで、私を指してくることもない。
仕方なく窓の外の黄色みを増したイチョウの木をぼんやり眺めて時間を潰す。
教師の無関係かつ不愉快なフリートークと同級生のどうでもいい私語から目を背け続けて五十分弱。
時計に目を向ければ授業はあと五分。
「あと三百秒……」
私は不意にそう呟いて、時計を見ながら頭の中で三百を数えることにした。
一、二、三……。
このように無駄なことを考えていると、どことなく安心する。
恐らくは、人の余計な感情に心を乱されずに済むからだろう。
二九四、二九五……。
そこでチャイムは鳴った。どうやら四秒か五秒ほど時計がずれていたらしい。
予定が狂ったが、五秒早く授業が終わったと我ながら呆れるほどにポジティブに考え直し、次の授業の準備をする。
時間割を見るに次は英語科だろうか。
あぁ、学校というものは本当に無駄にしか感じられない。
免罪者が入れられる牢獄か何かなのかと思うほどに、無駄。
学校に来るくらいなら、アルバイトでもしていたほうが好都合だと思うのは私だけではないだろう。
授業の準備ついでに、私が幻覚ごっこと呼んでいる悪趣味な遊びでもしようかと思案する。
簡単にいえば、"自分にも見えない幻覚"とも喋るだけである。
見えない誰かと話しているように会話をする。それだけで、人は自然と私から遠ざかっていく。
好意を向けられずに済む。こうすることで、気を張らずに済む。
心の安寧を保つことが出来る。
「貴方は今日の授業をちゃんと聞いていたの?」
「いいえ、寝ていたのを私は見ていたわ」
「逆上されても知ったことじゃない。私は起きていたから貴方とは違うのよ」
「あぁ、そう……これだから、息のない生き物は……」
勿論、外野の人間に冷やかされることもある。
しかし、それは好意から来る干渉ではないため、恐れることはない。
好意さえ、好意さえなければ私の能力が発動することはないのだから。
好意を向けられるくらいなら、酷い扱いをされた方がまだいい。
罪を贖うには、悪意の方が相応しいとさえ感じている。
心と共に、数日前に"階段で転んでできた"脇腹の傷がじんと痛んだ
。
と、ここで気が付く。皆が教室を出ていっている。
記憶を遡るに、今日の六限は生徒総会だと誰かが言っていたような気がする。
しない授業の準備をして無駄を作ったのは私の方だったみたい。馬鹿馬鹿しい。
私は痛む脇腹を押さえて肩で息をしながらホールに向かった。
生徒総会と言っても、新しい委員長の挨拶らしく、議題は一切ないらしい。
誰の利益にもならないのだから、自習にでもさせてくれたら良かった。
話に挙がっていた保健委員長はどうでもよかったし特筆すべきこともない。
色々言われていた図書委員長でさえ、私服どうこうの前に制服だった。
敢えて語るならばそいつはただ銀色の髪をゆるく一本に纏めただけのやや猫背の芋顔眼鏡女であり、おどおどとしながら台本通りというようなことをマイク越しに語っていた。
あまりの滑稽極まりなさにふ、と笑みがこぼれてしまったが、早く帰りたい気持ちに変わりはなかった。
あぁ、並んで座っているのが苦痛。早く終わってくれないかしら。
生活委員に美化委員。本当、この会合は台本通りに動くものばかり。
こんなもの、念のこもらぬ儀式同然。
やる意味なんてどこにあるというのかしらね。
私たちに配った生徒総会の書類だって、ホチキスの無駄遣いに違いないと思うのだけれど。
人首霊音の場合②
2020/05/01 up
2021/01/02 修正